誤謬日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

神の日曜日 Netflix映画 を見て

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キリスト教の根本主義者、カールトン・ピアソン牧師に信仰の危機が訪れ、新たな精神的な道へといざなわれる。それは彼の人生における全てを脅かす危険な道だった。

  

アフリカの内戦で亡くなった子供たちは

天国に行けないのだろうか?

 

なにげない疑問から

聖書を真剣に学び、自身の考えが確信に変わり

教会批判へとつながっていく。

 

でも、こういったことは 

よくあることなのではないか。 

 

ヤン・フスやルターなどの宗教改革者は

有名になったが

無名であっても教会に疑問を抱き、

自身の考えを述べる人は

多くいたような気がする。

 

 

誰でも天国に行けるという声を聞いて

それを受け入れるならば

イエスを受け入れる必要がなくなり

教会に従う必要もない。

 

教会の権威がなくなるのはどうでもいいが

牧師には生活がかかっているのである。

 

自分の信仰だけの問題ではなく

牧師には家族もいる。

 

しかし、生活することよりも

神について説教するほうが

大切だったのである。

 

でも、現代社会は

ちゃんとお金がないと生活が成り立たず

お金があることでやれる慈悲もある。

 

一切合切を私財を投げ捨てて

神を思い続ける生活は違うと思う。

そもそも生活のなかに神はいるので

そこを勘違いしてはいけない。

 

すべての人が天国に行けるという声が

神から来たものなのか。

悪魔から来たものなのか。

 

牧師が確信したこと。

それは同性愛者の男性を

自分の考えで救ったことである。

 

神から来たものなのかどうかは

神の業をみることによって

信じることができたのである。

 

最後のテロップのところで

これは実話の物語だということを

思い出した。