バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

イエスの生涯 (新潮文庫) 遠藤周作 <途中で読むのやめた>

 

 

英雄的でもなく、美しくもなく、人々の誤解と嘲りのなかで死んでいったイエス。裏切られ、見棄てられ、犬の死よりもさらにみじめに斃れたイエス。彼はなぜ十字架の上で殺されなければならなかったのか?――幼くしてカトリックの洗礼を受け、神なき国の信徒として長年苦しんできた著者が、過去に書かれたあらゆる「イエス伝」をふまえて甦らせた、イエスの〈生〉の真実。

 

途中で読むのをやめてしまった。

 

あまりにも自分が持っている

イエスのイメージと

遠藤周作のイエスのイメージが

かけ離れていて、つらかった。

 

イエスの奇跡を軽んじるところや

無力のイエス、力のないイエス

孤独なイエス、悲しいイエスなどという

論調にはついていけなかった。 

 

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

どんなことにも感謝しなさい。

 

パウロの書簡であるが

神がこれらのことを望んでいると教えているのに

イエスはそんなに不幸だったのだろうか。

 

そんなことはなく

イエスは宣教を

楽しんでいたと思う。

 

神に対しての例え話や

ユダヤ人との論争、

使徒との関わりからそう見える。

 

楽しんでいたからこそ、

人々はイエスに

ついていったのだと思う。

 

不幸なイエスでは

人はついていかなかったと思うし、

奇跡がなかったら

ここまで信じることはできない。

 

ただ、あまりにも十字架という

出来事が衝撃的すぎた。

 

結果的に十字架にかかることになったが

イエスは自ら十字架に

かかったのかもしれない。

 

十字架があったから

イエスは不幸であったと

位置付けるのは安易な考え方である。

 

十字架があったからこそ

復活があったし

キリスト教がここまで広まったのだと。

 

遠藤周作は小説家なので

事実なのかフィクションなのかは

とてもはっきりさせたいのだろうか。

 

 

遠藤周作のウィキペディアを

読んで見ると

カトリックの間でも評価が分かれるという。

 

それは奇跡を否定しているからである。

 

個人的には

イエスの奇跡を信じている。

治癒や復活を信じている。

 

これは論理的なものではなく

感覚的なものなので

どうこう言われても仕方がない。

 

そういう自分からすると

遠藤周作の本を読んで

納得することはできない。