バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

鷲(わし)とライオン ヒトラーVSチャーチル を見て

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人類史上かつてない惨劇をもたらした戦争の時代に鋭く対峙したヒトラーとチャーチル。その対照的な生い立ちから決戦の舞台裏まで、全編オールカラー化した映像で描く。  前編では2人の生い立ちから第二次大戦開戦まで。上流階級に生まれたチャーチルは騎兵将校となり、インドや南アフリカに従軍した後、26歳で議員に当選する。一方、オーストリアの貧しい家庭に生まれたヒトラーは、画家を志すが挫折。第一次大戦では兵士として従軍し、ドイツ敗戦後は極端な愛国思想を唱えて政界へ進出、首相に上り詰める。チャーチルは早くからヒトラーの台頭を警戒していた。時代は第二次大戦に突入して行く。

 

 

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人類史上かつてない惨劇をもたらした戦争の時代に鋭く対峙したヒトラーとチャーチル。その対照的な生い立ちから決戦の舞台裏まで、全編オールカラー化した映像で描く。  後編は、激しい空中戦が繰り広げられた1940年の「バトル・オブ・ブリテン」から始まる。ナチスによるフランス侵攻が始まったこの年の5月、チャーチルは首相に就任していた。ヒトラーは「日独伊三国条約」を締結するもソ連侵攻で惨敗。更にノルマンディー作戦、ドレスデンへの爆撃で追い詰められ、ついに自ら命を絶つ。一方のチャーチルも戦後は選挙で大敗し、歴史の表舞台から去る。時代と絡み合った二人の数奇な運命を描く。 

 

1874年、 

イギリス人貴族とアメリカ人の

母親のもとチャーチルは生まれた。 

  

チャーチルは学校の成績が悪く

父親からよく思われていなかった。

 

軍人になると名をあげるようになり 

政治家になると

弁が立つセンスがあり

どんどん出世していく。

 

しかし、

ガリポリ上陸作戦が

失敗してしまう。

 

辞任に追い込まれ

鬱になってしまい

42歳で過去の人と呼ばれてしまう。

 

内務大臣、海軍大臣を

歴任してきてたが

戦争の前線にいながら

絵を描くことがあった。

 

アドルフ・ヒトラーは

27歳で兵長となり

画家になることを夢みていた。

 

彼の仕事は

命令を伝えることであり

軍隊の生活が性に合っていた。

 

中流階級の暴力的な父親と

過保護な母親のもとで生まれ、

親はヒトラーの成績が悪かったため

公務員にしようとしたが

彼は画家を目指した。

 

美大の受験に失敗し

絵を売る生活をしていたが

戦争によって

気力を取り戻した。

 

第一次世界大戦で 

チャーチルは軍事大臣となり

その指示で作った弾を

戦火でヒトラーは避けていた。

 

ドイツは敗北した。

 

チャーチルは塹壕に有利な

戦車の投入をしたり

勝利の立役者となった。

 

ヒトラーは

マスタードガスでやられ

ヴェルサイユ条約に不満であった。 

 

ドイツには

巨額の賠償金がのしかかり

ヒトラーは

極右のドイツ労働者党に入る。

 

演説の才能を開花させ

聴衆は聞き入り

党を代表する演説家となる。

 

ドイツ労働者党は

国家社会主義ドイツ労働者党と

名前を変えナチスとなる。

 

ヒトラーはドイツの国威発揚。

チャーチルは一族の復活を

目指していた。 

 

ヒトラーは

ミュンヘン一揆を主導し

失敗に終わったが

その裁判の判事の前でも

屈しない姿勢に民衆の賛同を得る。

  

チャーチルは

さまざまな大臣を歴任し

指導力を発揮し

1920年代中には

最高権力に近づいていた。

 

チャーチルは

演説では控えめに訴える。

いつでも酒を飲む。

夫人を同伴する

理論やユーモアで語る。

 

ヒトラーは

雄弁に語る。

酒を飲まない。

夫人も同伴しない。

理論的でない。

 

2人の演説の才能。

ヒトラーはジェスチャーを研究し。

チャーチルは準備に何時間もかけた。

 

1929年10月、世界恐慌。

チャーチルは

大蔵大臣になっており

批判の的となる。

 

ヒトラーの人気は急上昇する。

1933年、首相に任命され

 反対勢力を弾圧する。

 

チャーチルは自宅にこもり

我が闘争を読み

ナチスの危険性に警告している。

 

ヒトラーは軍備を増加していく。

オーストリア併合。

 

チャーチルの友人の

ロイド・ジョージはヒトラー支持し、

エドワード8世もナチスの

プロパガンダに使われた。

 

ロンドンにいるナチス支持者は

戦争反対している。

ドイツと戦争するなという。

 

ヒトラーは

チャーチルも取り囲もうとした。

 

チャーチルは

イギリスの反戦主義を批判した。

 

ヒトラーは

イギリスとフランスは

戦争を回避すべきだと

脅していく。

 

イギリス国民は

チェンバレン首相を

平和を守った英雄だとしたが

その風潮を

チャーチルは批判した。

 

戦争か不名誉かの選択。

これでは不名誉を選んだうえ

戦争をすることになる。

 

1939年

チェコスロバキア侵攻。

 

ドイツは一滴の血も流さずに

領土を拡大した。

 

イギリスの世論が

チャーチルの発言が

正しかったと理解した。

 

ドイツが

ポーランドに侵攻し

イギリスとフランスは宣戦布告。

 

チャーチルは

再び海軍大臣となったあと

首相に選ばれる。

 

1940年。

ドイツは

オランダ、ベルギー、

フランスに侵攻する。

 

チャーチルは不安であった。

 

イギリスの閣僚のなかには

ドイツと折り合いを

つけようと考える人もいたが

チャーチルは違った。

 

ダイナモ作戦で

イギリス軍の撤退は成功する。

 

しかし、

大砲や戦車など

置き去りにしてしまう。

 

フランスの敗北で

イギリスは孤立する。

 

チャーチルはフランスの艦隊を爆撃する。

ドイツにイギリス侵攻に

使われるおそれがあり

そのため味方で死者が何人も出た。

 

ヒトラーはイギリス国民を説得し

チャーチルをひきづりおろそうとし

和平を呼びかけた。

 

チャーチルは

見せかけの和平を拒否した。

 

イギリスは

降伏する可能性がある見方が多かった。

 

ドイツの鷲の攻撃作戦。 

イングランドの軍施設を空爆するが

誤ってロンドンに爆弾を投下する。

 

これに対抗して

イギリスはベルリンに空爆する。

 

そして、ドイツは

イギリスの主要都市を

空爆するようになる。

 

空爆を受けたイギリスのコベントリーに

チャーチルは慰問に行く。

 

イギリス国民は

防空壕や地下鉄で

暮らすようになり

なるべく

普段通りの生活を送ることを心がける。

 

ヒトラーは

イギリス国民は戦う気力が

なくなっていくと考えていたが違った。

 

独裁者と戦うチャーチルに

イギリス国民が支持していた。

 

ヒトラーは

主要都市を空爆したことによって

イギリス空軍に

立て直す時間を与えることとなった。

 

ヒトラーは悪口を言っていたが

ゲッペルスは

チャーチルを評価していた。

 

ヒトラーの次の標的は

ソビエト連邦となった。

 

バルバロッサ作戦。

ソビエトの戦闘機を破壊した。

 

そのころ

日本が真珠湾攻撃をし

ヒトラーとチャーチルは

喜んだという。

 

ヒトラー

「3千年間一度も

 負けたことがない国を味方できた」

 

チャーチル

「ルーズベルトに参戦するよう説得できる」

 

しかし、 

アメリカは日本との戦争のため

自分たちの兵力を保存する必要がある。

兵力をイギリスに回す必要があるのか。

 

チャーチルはアメリカ議会に

戦争に協力するよう演説する。

 

ルーズベルトとの会談のあと

心臓発作の症状がでる。

このことを国民に

絶対に知られてはいけない。

 

チャーチルは 

イギリスの不利な状況に

議会から批判される。

 

ヒトラーはロシア遠征を

ナポレオンの二の舞に

なることはないと考え

ソビエトの戦いに

日本とイタリアに伝えることはなかった。 

戦争を個人プレイだと思っていた。

 

反対にチャーチルは戦争を

チームワークだと思っていた。

 

ルーズベルトとスターリン。

北アフリカにいる

ドイツ軍を攻撃することを伝えた。

 

トーチ作戦。

連合軍の共同作戦がうまくいった。

 

ヒトラーは敗北を受け入られず

側近の忠誠心疑うようになり

1人で複数の要職を兼任する。

 

チャーチルはわざ笑った。

 

ソビエトが猛烈な反撃したが

ヒトラーは戦うように指示。

 

ドイツは負け続ける。

 

テヘラン会談では

チャーチルの指導力がなくなっていく 。

 

ルーズベルトとスターリン。

イギリスが小国だと思い知った。

哀れなロバだと。

再び鬱状態となるが回復する。

 

ヒトラーとチャーチル。

2人とも地図を手放せなく

優れた戦略家ではなかった。

 

未熟さを理解していたチャーチルは

意見に耳を傾けたが

ヒトラーは粛清を繰り返したので

誰も反論できない。

 

イギリスの

フォーティテチュード作戦。

ゴムでできた戦車をつくり

おとり手段である。

 

1944年

ノルマンディーの海岸に艦隊。

ドイツ軍の幹部は

ヒトラーが寝ているところを

起こしてまで軍の派遣の許可を

得ようとは思わなかった。

 

そして、

ゴム製のおとりに騙され

増員を決めたときには遅かった。

 

連合軍から攻撃を受け

ドイツ軍は負け続ける。

 

ゲーリングは交渉するように指示したが

ヒトラーは認めなかった。

連合軍が内部崩壊すると考えていた。

 

1945年、ヤルタ会談。

 

大英帝国の終焉のような感じだが

ヒトラーに勝利する対価のためであった。

 

連合軍はドイツの主要都市に爆撃する。

 

都市が爆撃されても

ヒトラーが慰問することはなかった。

 

「戦争の神が向こうに行ってしまった」と

言ってから人前に出ないで

引きこもるようになる。

 

ヒトラーの姿の最後のニュース映像。

年老いた姿で少年たちに

最後まで戦うように激励する。

そのときに手の震えが見える。

 

ヒトラーのネロ指令。

ドイツのインフラの破壊命令。

今度はドイツ人が標的となってしまう。

 

ルーズベルト大統領が死去。

 

チャーチル

「彼がいなかったら勝つことは

 できなかった」

 

ヒトラーは最後まで

連合軍の内部崩壊を期待していたが 

ソ連軍の攻撃が続いていた。

 

ヒトラー最後の口実筆記の

最初の内容はチャーチルに関してであった。

「彼は理解してくれると

 思っていたが、違った」

 

ベルリンのラジオ

「ヒトラーは共産主義と最後まで戦った」

 

ドイツが降伏すると

チャーチルはイギリス国民から祝福される。

 

戦争が終わると

議会選挙で保守党が敗れてしまい

自分の存在意義を失っていく。

 

旅に出たり、

ノーベル文学賞を受賞する。

 

 感想

ヒトラーとチャーチル。

<共通点>

・少年時代の成績が悪かった

・絵を描くのが好き

・戦略家ではない

・演説がうまい

・第一次世界大戦で名をあげた

 

<対照的な面>

・酒を飲む、飲まない

・夫人を同伴する、しない

・意見を聞く、聞かない

・チームワーク、個人プレイ

・慰問する、しない

・失敗から学ぶ、学ばない

・理論的、理論的でない

 

 

ナチスが勢力を拡大してきたとき

チャーチルがいなかったら

イギリスもフランスと同じように

敗北していたかもしれない。

 

ナチスとソビエト連邦との

戦いになっていたかもしれない。

 

ソビエトとアメリカが

イギリス抜きで協力して 

ナチスと戦うことも考えられない。

 

こういった歴史をみると

チャーチルは偉大な政治家だったと思う。

 

戦争反対はとても素晴らしいが

自国が攻撃されたり

他国が侵略されていった場合は

戦わなくてはいけないときがある。

 

ナチス思想の危険性を

いち早く理解していた

チャーチルはこれは戦争しかないと

思ったのだろう。