バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

バシャール・アサド ~独裁と冷血の処世術~ を見て

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5年に渡る内戦で、「自国民を容赦無く殺戮する冷酷な独裁者」というイメージが定着したシリアのアサド大統領。彼の地位と戦略はどのように築かれたのか。謎の人物像に迫る。  父の跡を継ぎ34歳で大統領となったアサド。当初、欧米諸国は、イギリス留学経験があり、英国育ちの妻を持つ彼に民主的な治世を期待したが、アサドは父親の強硬路線を継承。内戦後はISの脅威を利用し、ロシアの支援を取りつけて、反政府勢力には化学兵器の使用も辞さない強硬路線に出た。“自分が権力を失えば中東はさらなる混乱に陥る”として国際社会を翻弄するアサドの、権謀術数と自己保身の原点はどこにあるのかを掘り下げる。

  

西側諸国はバシャール・アサドが

どういった人物なのか分からなかった。

 

2009年には

フランスのテレビ局の

取材を受けていて

平穏な暮らしを楽しんでいる。

 

 

バシャール・アサドは

イギリスの大学で

眼科の研修医をしていたが

1994年、大統領の後継者である兄が

事故でなくなったのでシリアに戻った。

 

そのときは控えめな性格で

体も細かった。

 

父親のハーフィズ・アサドは

国民に圧力的な政治を行った。

 

父親の葬儀には

先進各国の代表者がきた。

 

ダマスカスの大統領宮殿で

フランスの上院議員は

バシャール・アサドに好感を持った。

 

アサドはイスラム教徒だったが

他の宗教を否定するようなことは

なかった。

 

パリに行くと歓迎され

シリアの民主化の話に

熱心に耳を傾けていた。

 

しかし、改革は実行されなかった。

政権の根っこ部分は変えられない。

変えてしまったら

自分の地位が危なくなる。

 

だから

父親の強硬路線を

引き継ぐことになる。

 

アサド一族は

イラスム少数派の

アレヴィー派である。

 

自分が退陣してしまっては

多数派に太刀打ちできなくなる。

 

2005年。

レバノンのテロに

アサドが関わっていたと

西側諸国が感ずるようになる。

 

そこでアサドは他の国々に

守ってもらうため

欧米と対決している

イランと仲良くし

ロシアと貿易をすることになる。

 

父親への嫉妬を表すようにもなり

シリア国民から疎まれていくが

フェイスブックを開設し

スポーツや家族思いの様子を

発信するようになる。

 

再度パリを訪問し

サルコジ大統領は

西側諸国とシリアの

架け橋になろうとした。

 

国際社会での立場を回復したら

シリア国民にも認められる。

 

オバマ大統領の使節団も

シリアを訪問する。

 

アサドは

西側諸国との関係を改善し

正しい方向に向かっていると

みなが思っていた。

 

2011年1月。

アラブの春により

チュニジア、エジプトが崩壊していく。

 

そんな革命が起こっても

アサドに不安はなかった。

シリア国民が

自分を裏切るはずがないと。 

 

ある日、シリアの壁に

「次はお前だ」と

落書きが書かれていた。

 

その落書きを書いた人物が

拷問を受けたという情報が出回り

国民の不満が爆発した。

 

シリア政府は力づくで

抑えようとした。

 

国民がおとなしくならないと

改革はできない。

 

アサド一家の

安全が確保が大事であり

軍による弾圧が始まる。

 

アサドは シリア国民が

あのような態度に出るとは

思わなかった。

 

手段を選ばない 

父親の政治手法を知っていたので

強硬な手段に出る。

 

反政府軍には 

アサドを異端と思っていた

カタール、トルコ、

サウジアラビアが武器を提供し

内戦が激化していく。

 

 

アサドは

市民と戦闘員の区別なく攻撃した。

 

西側諸国の後ろ盾がなくなっていき

西側からアサドは辞任すべきという

意見が出てくる。

 

2012年。

シリア国民は国外に避難し

ヨーロッパを直撃する。

 

国連安保理の会議では

反政府側の暫定政府の樹立という方向で

退陣後のアサドを

どうするかの議論をしていた。

 

ロシアのラブロフ外相も

そう言っていた。

 

アサド退陣には

ロシアの圧力が必要だった。

 

新政府を支援することで合意したが

ロシアはシリアの影響を

失いたくなかったし

欧米の中東に対する民主化の推進が

不快であった。

 

アメリカとフランスは

反政府軍を支援し

アサド政権を

退陣できると思っていた。

 

2013年。

ダマスカスと3分の1だけが

政府軍の領土であった。

 

アサド

「シリアで生き、ここで死ぬ」

強硬な姿勢は

既得権益側やアレヴィー派、

キリスト教などの少数派の

団結を生んだ。

 

シリア政府軍は

化学兵器を使い

欧米諸国は非難する。

 

どのように軍事攻撃を行うか。

会議が行われたが

オバマは考え直した。

 

懸念していたのは

政府軍が

アメリカの攻撃を生き延びて

再び化学兵器を使うことを

恐れたためであった。

 

アサドなきシリアを

イスラム過激派に

牛耳られる心配があったが 

西側諸国は

反政府軍の力があったので

心配していない。

 

アサドは

イスラム過激派を敵にした。

 

ジハード思想を持った 

政治犯を釈放し 

反政府軍を攻撃するようになる。

 

ISは石油を売って儲けている。

そして

石油を買っているのは

シリア政府である。

 

シリア軍とISは

ときに戦い、ときに協力している。

 

アサドはメディアをも利用する。

 

シリア軍こそが

過激派組織に対抗できる

唯一の選択肢だと。

 

しかし、 

アサド政権の収容所で

シリア国民は

ひどいことになっている。

 

西側諸国にも

過激派と戦うアサドに

耳を傾けるという風潮もある。

 

アメリカは

ISに対して空爆を行う。

 

シリア政府軍は疲れていて

起爆剤が必要であった。

そこで 

ロシアを訪問した。

 

公式の見解では

ISとの戦いかたについての会議であり

ロシア軍の空爆は

ISに対抗するためであると。

 

しかし、ロシアの空爆は

反政府軍にも向けられていく。

 

2016年。

アサド政権は

反政府軍に奪われた領土を

次々と奪還していく。

 

西側諸国は見ているだけある。

 

アメリカとロシアは

シリアの停戦に合意。

 

このことにより

アメリカは 

アサド政権を認めることとなった。

 

反政府軍の拠点であった

アレッポを奪還した。

 

シリア軍は

反政府軍の残党を

全滅させる覚悟である。

 

英語を話しスーツを着て

イギリスで学んだ経験があるが

彼はシリアで育ったのである。

 

アサド

「軍と政府は

 国土を掌握する権利がある」

 

感想

カダフィやムバラクはやられたのに、

なぜシリア政府軍は

アサドを見捨てないのか?

 

アサドは力強く

絶対に屈しないという意思を

持っている。 

 

なぜ絶対に屈しないのか 。

アサド一族が

イラスム少数派のアレヴィー派であり

多数派にやられてしまうという

危機感があるのだろう。

 

 あと、ロシアという大国の

後ろ盾があるのも大きいかもしれない。

 

化学兵器を使ったにもかかわらず

シリアに本格的に

介入しないことによって 

それを認めることになるという

理屈である。

 

これによって

デッドラインがなくなる。

 

多分、このことを知っていて

トランプは

化学兵器を使った政府軍に対して

空爆を行ったのだと思う。 

 

アサド大統領は

スーツを着て英語を話す。

 

このことから

シリアの民主化が進むと

考えるのは短絡的な見方であった。

 

しゃべっている言葉、

着ている服装など

すべて欧米化している。

 

それが中東のシリアの大統領まで

広がっていったが

根っこの部分はやはり

強硬路線の父親のもとで育ったことである。