バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

イエス・キリスト「7つの謎」を解き明かす を見て

 

 

 世界でいちばん有名な人物の一人であるイエス・キリスト。しかしその生涯は多くの謎に包まれています。今回、その中から特に重要な「7つの謎」を厳選。   「イエスの誕生」「イエスが起こした数々の奇跡」「ブリテン島に渡ったことがあるという説」「なぜ聖ペトロを十二使徒のリーダーとしたか」「マグダラのマリアとは誰だったのか」「イエスの顔を写したと言われる『ベロニカのベール』」「十字架上の死が意味するものは」について、キリスト教研究者らが解き明かし、イエスの真の姿に迫ります。 

 

① イエスの誕生

イエスの誕生には

東方三博士など

神秘的な記述があるが

好ましくない部分がある。

 

ベツレヘムの星は

彗星であると考えられる。

彗星は不吉な意味があった。

 

東方三博士が持っていた

黄金と乳香、没薬。

没薬は死を意味する。

 

ヘロデ大王の幼児殺害。

羊については生贄の証である。

 

ようするに、赤ん坊が

ひどい死に方をするという

意味合いの記述が

ちりばめられている。

 

② 奇跡

ガリラヤ湖で5000人に食事を与え

自然を変え治療による奇跡。

 

ユダヤ教は

身を清めることと

生贄が重要となる。

 

イエスは女性にも優しくし 

悪霊に取り憑かれた人も癒した。

 

故意にユダヤ教の

タブーを犯したと考えられる。

 

ユダヤ教に反したため

ナザレに行くと市民が暴徒と化したが

誰も殺さなかった。 

 

③ イギリスでのイエス

イエス・キリストは

12歳からの30歳まで何をしていたのか。

 

ナザレ村の近くの

セフォリスという都市は

貿易ルートだった。

 

ローマは鈴を求めていて

イエスと

アリマタヤのヨセフは

一緒に鈴を求めて

ブリテン島に行った説。

 

コーンウォールと

グラストンベリーに行った。

 

イギリスは当時

ドルイド教というのがあった。

 

教師や医師などが

ドルイド教を信仰していて

イエスは

彼らから教えを受けた。

 

この伝説に裏付けはない。

初期キリスト教がブリテン島に

どうやって伝わったのか

わからないということもある。

 

イエスが

イギリスに行った説は

12世紀に広まった。 

 

これは当時のイギリス教会の

巡礼者集めによるもので

アリマタヤのヨセフも利用した。

 

グラストンベリー修道院も

その伝説を利用した。

 

④ 聖ペトロ

ペトロは

12使徒のリーダーである。

 

最初はシモンという名の

漁師であったが

イエスは岩という意味の

ペトロと名付けた。

 

しかしペトロは

岩といった安定、強さという

イメージとは違っていた。

 

イエスが

自身の十字架を予言したときも

ペトロは嫌がった。

 

それが

神に対する信仰心のなさだといわれ

十字架にかかることが

イエスの神性さを示すものであり

拒否したと捉えられる。 

 

ペトロは

信仰心の弱さゆえに

リーダーに選ばれたのか。

 

ペトロは

イエスが十字架に磔にされたあと、

旅にでてイエスの教えを広めたが

ローマで逆さ十字架にかけられた。

 

ペトロでさえ最後は殉教した。

 

⑤ マグダラのマリア

マグダラのマリアは

悔い改めた娼婦とされているが

本当は違うのではないか。 

 

エルサレムには

マグダラのマリアの教会がある。

 

イエスが十字架に

かけられたときもそばにいた。

 

マグダラという名は

出身地名ではなく

塔という意味での

呼び名だったかもしれない。

 

ペトロの岩と

同じ意味あいだったかもしれない。

 

十字架だけでなかく

復活にも立ち会った

マグダラのマリア。

 

しかも、

イエスの復活を

最初に見ている。

 

当時、

女性の地位が低いにも関わらず

布教活動に女性が

関わっていたことがわかった。

 

マグダラのマリアは

イエスの教えを理解し

ペトロは間違うことが多かった。

 

どうしてマグダラのマリアに

娼婦というイメージがついたのか。

 

6世紀末、

グレゴリウス1世。

ローマは厄災にあっていて

神による罰と考え

市民に悔い改めるように考えた。

 

そこで

手本が必要であった。

 

罪深い女性を娼婦とし

悔い改めたのを

マグダラのマリアにした。

 

マグダラのマリアを

信仰していたのは

非主流派であり

主流派がそれを潰そうとしたという

こともあるという。

 

近年、カトリック教会は

マグダラのマリアを

罪深い女と呼ぶのをやめた。

 

原因は

西方教会にある。

 

⑥ ヴェロニカのベール

具体的なイエスの姿を

ローマ神話に出てくる

神のような姿に照らし合わせた。

 

トリノの聖骸布や

ヴェロニカのベール。

 

サン・ピエトロ大聖堂には

4本の柱があり

そのなかに聖遺物があることに

なっている。

 

ヴェロニカとは 

イエスに病気を治してもらった女性。

イエスが十字架を掲げて歩いてるとき

自分のベールをとり

イエスの血と汗をぬぐった。

 

そのときの

イエスの顔が写し取られている。

 

6世紀ごろの

聖骸布伝説の1つであり 

最古の記録は12世紀である。

 

ベールを拝む信仰になっていったが

1527年、ローマの略奪による

ヴェロニカのベールは盗まれたとされる。

 

バチカンは本物のベールは

柱の下にあるとしているが

みんな信じていない。

 

マノペロのベールが

本物のヴェロニカのベールだと

いえるという。

 

そのベールに 

ベネディクト16世が

祈りを捧げたという。

 

⑦ 十字架での死

張り付けにならなかったら

キリスト教が

世界中で広まらなかった。

 

エルサレム神殿は

ユダヤ教の中心地。

 

イエス本人も

このエルサレムの神殿で

問題を起こせば

ひどいことになると

自覚していた。

 

しかも

過越の祭の最中でもあった。

 

イエスが

商人たちや両替商を叱りつけた。

 

ユダヤの祭司たちは

見過ごすわけにはいかなかった。

 

ユダヤ教の神を冒涜したら

石うちの刑である。

 

イエスは

世間の注目を集める死に方を選んだ。

暗殺でも石打ちでもダメで

十字架でなければいけなかった。

 

エルサレムには

ローマの兵士たちもいて

暴動が起きたら沈めるためにいた。

 

イエスには支持者が大勢いたため

ユダヤの祭司もやり方を

考えないといけない。

 

イエスの罪を

ローマ人に引き渡した。

 

ユダヤ人の王と名乗ることは

政治的な発言であり

ローマに立て付くと思わせ

ピラト総督は

宗教的な問題に興味がなく

政治的な質問にだけ集中した。

 

十字架の刑は

奴隷が受けるものであり

見物人も見られる。

 

鞭で打たれ

自ら十字架を背負っていった。

 

イエスの死は

出血大量ではなく

呼吸困難である。

 

十字架がある種の

キリスト教は弾みとなった。

 

初期キリスト教は

十字架を

名誉あるものだと捉えた。

 

感想

こういった都市伝説なものでも

見てみれば勉強になる。

 

イエスの誕生のとき

ベツレヘムの星や

マグダラの意味など。

 

イエスが

イギリスに行った説は

はじめて聞いた。

 

ただ、イギリスに行こうが

インドに行こうが

なんら不思議ではない。

 

個人的な興味としては

イエスが旧約聖書をどこで

勉強したのかが気になる。

 

ヴェロニカのベールも

はじめて知った。

 

ただ今のマノペロのベールも

本物かどうか怪しい。

 

今の最新技術で

この布が何世紀のものに

作られたのかが、

わかるので検証してほしい。

 

ただ、サン・ピエトロ大聖堂の

聖ペトロの墓は本物だと

個人的に思っている。