バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

『ゲンロン0 観光客の哲学』刊行記念トークショー@代官山 蔦屋書店 の感想

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日本を代表する思想家である東浩紀さんが「存在論的、郵便的」(http://amzn.to/1PS5QLi)以来、自身の約20年にわたる思想・批評の集大成となる新著「ゲンロン0 観光客の哲学」を刊行されました。 様々な時代の政治哲学、文芸批評、観光学からネットワーク理論までを自在に横断しながら、グローバリズムが世界を覆い尽くした時代、私たちはいかにして新しい政治思想の足がかりを探し、他者とともに生きる道を見つけることができるのかを問う、今春話題の哲学書「ゲンロン0」。  その刊行を記念して、社会学者・宮台真司さんをお迎えし、同書の内容を足がかりに存分に語り合っていただきます。

 

家族、家族的なものは

慣れ親しんだものではなく、

不気味なもの(子供)に

コミットすること。

 

友と敵を作らない思考とは何か。

 

仲間意識は

家族、地域、国家、人類と

拡大していき、

人類となるとダメになる。

 

カール・シュミットは 

共同体を維持していくには、

別の共同体が必要だという。

 

人類共同体となっても

別の共同体(敵)が必要である。

現代でいえば

ならずもの国家が敵となる。

 

カントの「永遠平和のため」にで、

個人の移動について言っている。

 

訪問は大事だが、

歓待はされないこと。

 

人間の思考は3つのパターンがある。

・普遍的なものを信じる(神、理想的)

・友と敵をわける(国民国家)

・個人しかない(アナーキスト、富裕層)

 

普通の人は、友と敵をわける。

でも、友と敵を分けないで

連帯することは可能なのか。

 

家族を作ることは

4つの目の思考のパターンとなる。

 

家族の境界はあいまいで、

自分と親とで家族の認識は違う。

  

誤配(まちがえて配達すること)。

世の中は誤配だらけで

私生児的なものは誤配である。

 

デリダはフランスの哲学者であった。

のちにアメリカで評価されたが

誤解されたものであった。

それがデリダのグローバルなイメージ。

生産性も誤配のひとつ。

 

インターネットの

SNSやAmazonのアルゴリズムなど

誤配が少なくなっている社会に

なってきている。

  

シールズは

出会いを求めていた人たちであり

そこに連帯をみた左翼が間違っていた。

 

SNSでワンフレーズで募るやり方は

未来がない。

 

シールズで集まった空間は

継続しないと祭りで終わってしまう。

ある意味、観光客という面もある。

 

グローバリズムと

ナショナリズムの対立。

 

トランプとヒラリー。

ルペンとマクロン。

 

日本には

ヒラリーとマクロンがいない。

 

世界で日本の立ち位置を

考える人がいない。

 

グローバルは偽善の立場であるが、

政治は偽善がないといけない面がある。

 

家族は内側と外側を作るという意味ではなく

拡張性が高いものである。

家族をもっとも意識するのは葬式のとき。

 

つねに連絡を取りあう現代のなか

忘れた頃にやってくるイベントである。

 

親と子供のときの関係だけしか

一緒に住んでいない。

 

大人になれば

数年に1回しか会わず

死ぬまでに数える程度しか

会わないことになる。

 

今は葬式の規模が

どんどん小さくなっている。 

 

現代の観光は無害になっている。 

ある経済段階を経て、

個人の世界が開き、観光は流行る。

 

若い人は現状に満足しているが

カルチャーは不幸なものが流行ってる。

ブラック、貧困、コミュ障とか。

 

思想、哲学は

非現実的な社会改革論を

やっているだけでは

スピリチュアルに持っていかれる。

 

社会が正しくなっても

自分が幸せになるかどうかは関係ない。

  

当事者でないとものが言えないとなると

誰も何も言わなくなる。

 

 

感想

自分が小学生のころ、

父方の祖父が亡くなって

300万円か500万円ぐらいの

大規模な葬式をした。

 

アメリカ人がいて

びっくりした覚えがある。 

 

どうやら親戚のなかに

アメリカ人と結婚した女性が

いたとのこと。 

 

自分のなかで

初めて外国人と接した瞬間であった。

 

しかし、そんな大規模な家族を

意識できるのは、もうないのかもしれない。

 

祖父母の兄弟が多かったのと、

いまは経済が低迷していて

葬式にそこまでお金をかけることは

できないからである。

 

 

家族が不気味なものというのは

実は子供が一番感じているのではないか。

 

気づいたら両親や兄や姉がいる。

 

ときどき親戚の家に連れて行かれ

両親が見知らぬ人と

なんか仲良く話をしている。

 

しかし、この人が

誰とどのような関係性なのか

理解できない。

 

自分なんて両親のいとこまでいくと

名前も顔もわからない。

 

子供は家族の拡張性や

抽象度が低い。

 

 

家族に対する抽象度に対して

キリスト教を思い出した。

 

イエス・キリストが言った

「父なる神」や「兄弟愛」も

家族の拡張性や抽象度と

繋がってくるのかもしれない。

 

 

東さんが

哲学がスピリチュアルに

持っていかれてると言っていて

自分もそこは気になっていた。

 

確かに、本屋で

スピリチュアルな棚と哲学の棚は

近くにある。

 

スピリチュアルといえば

いい悪いかは別にして

人生をより良くしようとするものであり

生き方を説いている。

 

普通に考えれば

自己啓発本の棚と

スピリチュアルな棚が

並ぶべきである。

 

 

宮台さんと東さんの共通点は

生き方を説いているという。 

 

いろいろ似ている部分があると思うが

一番似ている部分は

時代によって考え方が変わっていること。

 

そんなに彼らを

深く追っているわけではないが、

 

宮台さんは

東大から戦後5人目の社会学者となり

女子高生に対するフィールドワークをして

討論番組でスターになり

ファンが自殺してしまったことなど

様々な出来事がある。

 

東さんは

学者に論文を送って哲学者になり

オタクカルチャーにコミットし

若手を育てる立場になったり

東日本大地震ではまた別の活動をするようになる。

 

つまり時代の変化によって

考え方も変えているという

共通点があると思う。