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バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

ザ・プロファイラー「破天荒で優しい“野球の神様”~ベーブ・ルース~」 を見て

www4.nhk.or.jp

 

岡田准一の歴史エンターテインメント。「野球の神様」と呼ばれたベーブ・ルース。幼い頃は、不良少年だったが、野球との出会いが人生を変えた。初めの頃は、投手としても打者としても一流の成績を残し、まさに二刀流を体現。その後、打者に専念し次々と大記録を打ち立てる。一方、夜遊びがこうじてスランプに陥るが、子どもたちの期待を裏切るまいと、必死で練習し、復活を果たす。アメリカンドリームを体現した男の実像に迫る。

  

1895年に生まれる。

両親は船乗り相手の酒場を経営していた。

 

7歳にはタバコとウイスキーを覚えていた。

不良の更生のため

セント・メリー工業学校に入学させられた。

 

そこで

修道士のマシアスがノックしていたのを見た。

 

当時はキャッチャーであった。

修道士マシアスがピッチャーをやるように言い

ピッチャーとして活躍するようになる。

 

19歳のとき

オリオールズの入団の誘いがくる。

現在の日本で160万ほど。

 

汽車やエレベーターなどが

物珍しくてはしゃぎ

赤ん坊という意味でベーブと呼ぶようになる。

 

ボストン・レッドソックスに入団し

リーグ優勝に貢献した。

球団代表のピッチャーとなる。

 

第一次世界大戦のため

外野手が戦争に行ってしまい

人員不足のため

監督から外野手をやってみようという提案を

引き受ける。

 

23歳のときに二刀流となる。

 

しかし 

二刀流は疲れて限界だと監督に伝えた。

 

投手とバッターなら

バッターの方を希望した。

 

ヒット、盗塁が主流だった時代のなか

ベーブはホームラン王になる。 

 

三振がないことが美徳であったが

豪快に三振をして注目を浴びた。

 

それは

修道士マシアスがノックのとき

大きく上に上げて打っていたからだといわれる。

 

ベーブのトレードの話が出る。

 

ニューヨーク・ヤンキースは

当時は弱小球団だった。

レッドソックスはベーブの夜遊びに手を焼いていた。

 

ベーブを受け入れた

ヤンキースはリーグ優勝をし

観客も増えた。

 

野球選手にしては太っているので

ホームランしかなかったのかもしれない。

 

年俸へのこだわりが強く。

 

大金が入ると

夜遊びで成績不振となっていく。

 

ニューヨークの議員だった

ジミー・ウォーカーが

「子供たちの希望を奪うのか」と

ベーブに言い

その言葉によって改心しようとする。

 

練習に励み

また成績を残し

ワールドシリーズ優勝し

首位打者になった。

 

しかし、

また夜遊びをするようになり

不摂生で倒れてしまう。

 

再度、トレーニングに励み

ホームラン王と得点王になり

2度のワールドシリーズに貢献した。

 

このワールドシリーズ前に

サインボールを頼まれた。

病院で寝たきりの息子ジョニーを励ますためだという。

そのジョニーに会い

ワールドシリーズの試合で

ホームランの約束をする。

 

世界恐慌が起きたときも

ベーブは

現状維持の年俸よりも

高くすることを希望した。

 

ベーブの給料は

当時のアメリカ大統領を超えた。

 

監督になりたかったが

ヤンキースのオーナーから許可がでなかった。

 

ベーブ自身が

監督の言う通りにしなかったからである。 

 

選手としても成績不振になり

40歳のときヤンキースを退団する。

 

3年後

ドジャースのコーチとなった。

技術面と精神面を指導したが

1年で終わってしまう。

 

51歳で病気で倒れてしまう。

子どもたちからの手紙が救いであった。

 

子どもたちは両親から

ベーブの活躍を聞かされていた。

 

ベーブのイベントに人が集まったとき

入場料をもらわず

貧しい子供達の寄付を願い出た。

 

 

感想

断らずやってみるという精神があった。

ピッチャーとして

外野手として

幅広くやってみた結果

ベーブ・ルースはホームラン王になったとみえる。

 

野球選手の年俸に対する交渉の先駆けとされ

音楽業界でいえば

ビートルズのようなものかもしれない。

  

憧れが大リーガーではなく

修道士マシアスのノックだったのも

それまでの野球の常識を変えるきっかけに

なったのかもしれない。

 

自堕落な生活を送っては

立ち直りを繰り返した

人間臭さも人気の一つだと言える。