バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

アナザーストーリーズ「北朝鮮 拉致を暴いた人たち~終わらない闘い~」 を見て

www4.nhk.or.jp

 

ある日、家族が蒸発したように消えた…。1970年代、全国で相次いだ失踪事件。それが「北朝鮮による拉致」だと暴いた人々がいた。きっかけは1人の若き新聞記者。偶然耳にした言葉から取材を開始、現場の遺留品から、驚くべき推理へ。だが渾(こん)身のスクープは黙殺され、国も他のマスコミも動かない…。拉致被害者の一部帰国が実現するまで、実に20年以上。拉致に光を当てようとした人々の、知られざる闘い。

 

拉致被害者は17人。

当初は、なぜ消えたのか、わからなかった。

北朝鮮の犯罪だと誰も思わなかった。

 

1970年代、

アベック3組が謎の蒸発する。

まだ北朝鮮の関与はわからない。

 

新聞記者の阿部雅美さんが

警視庁記者クラブの

警備・公安担当だったとき

警察関係者から

「日本海で変なことが起きている。」

と聞いた。

 

地方新聞の記事を探すと

失踪事件関連がたくさん出てきた。

 

カップルが 

拉致されそうになっていたところを

助けたという人に話を聞く。

 

「被害者は手錠をかけられていた。

 静かにしなさいと声がをかけられた」

 

さらに、

見たこともないサルグツワが

遺留品としてあった。

調べたら、日本で作られてはおらず

工業のすごく遅れた国で作られていた。

 

そこから

北朝鮮という可能性が出てきた。

 

富山で取材したら

漁師が国籍不明の不審船や

朝鮮語の無線が聞こえたりしたという。

 

しかし、これが誤報なら

国際問題になってしまう。

 

失踪事件からして 

家出や駆け落ちなどの

可能性もあり

いろいろな家族に取材した。

 

決定的な情報が必要であった。

新潟でもアベックが蒸発した情報を耳にする。

しかし、警察署関係者は話さない。

 

タクシーの運転手に

アベックが消えたが何か知らないか?と聞くと

 

「知ってる。

 今から連れて行くから」

と言われ、連れて行かれた場所は 

当時、大学生だった

蓮池薫さんの実家であった。

 

蓮池薫さんには司法試験の夢があり

晩御飯には帰ると言っていた。

 

1980年1月、1面にした。

外国情報機関が関与の疑いが強いという内容で

北朝鮮と名指しはしなかったが

北朝鮮っぽいことを書いた。

 

しかし、

テレビも新聞も後追い取材がなく

社内の反応もない。

 

7年後。

大韓航空爆破事件が起きる。

犯人は、

北朝鮮工作員キム・ヒョンヒ。

 

キム・ヒョンヒは

「北朝鮮は日本人を拉致し

 工作員に日本語を指導していた」と言った。

 

元共産党国会議員秘書の

兵本達吉さん。

 

日本政府が北朝鮮に

抗議しないといけない問題である。

 

1988年、参議院予算委の答弁で

北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であるという

内容の質問状を書いた。

そして、その質問が答弁で出た。

 

しかし、

新聞2紙が小さく報じただけであった。

 

元朝日放送の

テレビプロデューサーの石高健次さん。

 

1991年、核開発疑惑のため

北朝鮮を取材していた。

そのとき

韓国で北朝鮮の裏側を知る。

 

日本人を拉致した

北朝鮮の工作員が

韓国で逮捕されていた。

 

実行犯のインタビューをし

原敕晁さんを拉致し

日本人になりすましていた人物や

共犯者から拉致を認める発言をとる。

 

北朝鮮工作員を取材していた

韓国の情報機関が

13歳の少女、双子の妹

バドミントン帰り。

というキーワードのある人物が

拉致されていた情報がくる。

 

どこの誰かはわからなかったが

1977年の新潟日報の

記事がFAXで送られた。

横田めぐみさんは双子ではなかったが

弟が双子であった。

 

さらに、

北朝鮮でめぐみさんの目撃情報があり

産経新聞も

横田めぐみさんのことを記事にする。

 

1997年。

北朝鮮による拉致被害者家族の会が発足する。

 

2002年9月。

日朝首脳会談で

金正日が拉致を認め謝罪した。

 

「一部の機関が

 妄想主義、英雄主義に走った」

 

2002年10月、

5人の方が帰国する。

 

寺越友枝の息子。

寺越武志さんが拉致されていた。

 

母親の友枝さんは

65回も訪朝し息子たちに会う。

 

1963年。

当時、中学1年の寺越武志さん。

おじさんたちと漁に出ていたが

船が見つかり誰もいなかった。

 

写真だけの葬式をすませていた。

 

1987年。

叔父から北朝鮮で暮らしている手紙がくる。

嘘からもしれないと思い、

この手紙を警察に渡した。

 

武志しか分からないことを書き

返事がきて息子に間違いがなかった。

しかし、手紙の内容から

北朝鮮での暮らしが

とても貧しいことで綴られていた。

 

友枝さんは

国会議員のおかげで

特別訪朝を果たしたが

60万ものお金が必要で

必死で働き 

無事会うことができた。

 

面会を果たした時、

叔父は

「北朝鮮の船に助けられた」と言い

息子の武志さんは

「眠っていて覚えていない」と言った。

 

母親の友枝さんは

眠っていて覚えていないわけが

ないだろうと言ったとき

息子が置かれている現実を理解した。

 

武志さんは

「自分は拉致されていない」という。

 

被害者家族の会に入ったら

命の危険性がある。

 

息子の武志さんが日本に一時帰国したとき

母親の友枝さんは

このまま逃亡して

日本で暮らすことを考えたが

それはできなかった。

 

武志さんには

北朝鮮に大切な家族があったのである。

 

日本政府は

なぜこんなにも

長い時間が経ってから

拉致問題に動いたのか。

 

 

感想

北朝鮮の拉致問題で

日本政府が動き始めたのが

2000年付近だったのを知った。

 

日本政府が早くから

対応していれば違ったものになっていただろう。

 

武志さんが

北朝鮮で母親と面会したときや

日本に一時帰国したとき

発言に気おつけなければいけなかった。

 

北朝鮮内で拉致されたと言えば

何をされるか分からない。

 

日本に一時帰国したときも

そのまま日本に住んでしまったら

北朝鮮にいる家族が

どんな目にあうのかわからない。

 

北朝鮮から逃げて

日本で永住したら

北朝鮮にいる家族に

何をされるかわからない。

 

北朝鮮は

拉致被害者を日本に返せばいいのにと

単純に思ってしまっていたが

物事はそう単純ではないのだと思う。

 

これは憶測だが

亡くなっている可能性があるし

北朝鮮の高い地位についていて

内部情報を持っている場合もある。

 

北朝鮮内で家族を持っていて

日本に住むことができないことなどである。

 

これだけなら

一目会うことぐらいなら

できそうな気もしてくる。

 

新聞記者の阿部雅美さんが

「新聞記者に必要なのは

 無償の功名心が必要だ」と言っていた。

 

この言葉を聞いたとき

映画のニュースの天才を思い出した。

www.basyanuko.com

 

スクープをあげる。

これには社会的意義よりも

目立ちたかったり

スターになりたい

ライバルとの競争心からきていると

いった意味とも受け取れる映画であった。

 

でも、そういった個人的な

人から認められたいという感情から

社会的に意義がある

ニュースも出てくるはずである。