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バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

100分de名著 エミール 第3回 「あわれみ」を育て社会の基盤に! を見て

www.nhk.or.jp

 

16歳になり思春期を迎えたエミールはいよいよ社会の中に入っていく。その際に最も大事な要素は「あわれみ」の感情。人間が元々もっている「自己愛」を「あわれみ」の感情へと上手に育て拡大することで、貧しい人々への共感や不平等な社会への憤りをもつ「公共性」を備えた存在へとエミールは成長していく。その媒介となるのが「歴史教育」と「宗教教育」。社会の不平等に直接対面させるのではなく「歴史」というフィルターを通してみせることでより普遍的な感情を育てることができる。また、ルソー思想の白眉ともいえる「サヴォワ副司祭の信仰告白」の章は、「自然宗教」を通して人間の良心の本質を明らかにし、ニヒリズムに陥りがちな青年期の懐疑から脱する方途も示唆する。第三回は、私たちの社会の基盤ともいえる「あわれみ」の感情、「公共性」、「良心」といった根源的な問題を、ルソー思想の核心部分から読み解いていく。

 

 

 

 

第四編

思春期、青年期(15〜20歳)

この時期から

自然人ではなく、社会人としての

教育が始まる。

 

異性や競争心がでる前に

他者への共感が大事である。

 

情念とは

やってきてしまう感情。

自己愛から生まれてくるもので

自尊心からではない。

自尊心は競争心から生まれてくる。

 

他者の弱さ、苦しみの共感が

助け合いの気持ちが出てくる。

 

はかない幸福だといい

弱さが幸せを生むことになる。 

 

<共感力について>

・弱い立場の人には共感できる。

 自分より上の立場の人には共感できない。

 しかし、何がどの立場なのか

 表面的なものの見方ではわからない。

 

・自分にも起こりうる自体と思えば

 共感できる

 

・不幸の大小ではなく、その不幸な感情に左右される。

 人と対等であれば苦しみの大きさを受け止められる。

 

その一方、

人の不幸を哀れんで

自分の幸運な状況を感じて良い。

その気持ちを助け合いに使えばいい。

 

社会・歴史教育の始まり。

社会を知ることは人間を知ることであり

人間を知ると社会も理解できる。

 

そのために

歴史上の人物の伝記を読ませた。

 

エミールに宗教論を教える。

エミールの中には

『サヴォワ副司祭の信仰告白』という章がある。

 

青年は飢えのしのぐため

カトリックの教会にお世話になっていたが

教義に不満があり、文句を言い罪人となった。

 

聖職者が現れ、青年を救う。

青年に自信をもたせた。

 

青年のモデルは若き日のルソーであり

聖職者のモデルはルソーの考えであった。

 

生きていくうえの原則を説く。

私は存在するし感覚がある。

感覚があるのは物質があるからである。

それが事実である。

 

物質が動くのは

誰かが動かしたからである。

そこに意志がある。

 

地球が動いているのは

何かが動かしたからである。

意志のないところに行動は存在しない。

 

自然に生命を与えていて

世界を動かしている意志があり、

その存在が神である。

 

人間社会に戦争や嫌なことがあるのは

人間に自由意志があるのが問題である。

 

しかし、

この自由意志は神から与えられている。

 

自分の自由意志で良いことを行う生き方を

神は望んでいる。

 

青年は生きる問いを考える。

人間は良いことをするために生まれたのだと。

 

『サヴォワ副司祭の信仰告白』の宗教論が

カトリックから反感を買い

エミールは禁書となった。

 

感想

社会人のはじめとしてまず

他者への共感が大事になってくる。

 

それは、助け合いであり

弱い立場のことを思うことである。

 

しかし、弱い立場の人に共感するとは

キリスト教に近いのだと思ってしまう。

 

その当時のカトリックは

弱い立場の人を助けるということに

重きを置いてなかったのかもしれない。

 

だから

ルソーはカトリックの教義に

疑問を持っていたのかもしれない。

 

『サヴォワ副司祭の信仰告白』という形で

自分なりの宗教を考えていた思われる。

 

キリストや教会とか関係なく

思いやりが大事であり

そのために神という存在を

うまく論理的に使っている。