バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

ザ・プロファイラー「信念を貫き通した世界王者~モハメド・アリ」 を見て

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岡田准一の歴史エンターテインメント。去年6月に亡くなったモハメド・アリ。力任せの殴り合いだったヘビー級に、蝶のように華麗なフットワークと、蜂のように鋭い左ジャブを持ち込んだ。アリが王者として君臨したのは、アメリカの激動の時代。アメリカ国民の多くがベトナム戦争を支持する時代に、激しい非難を浴びながら、徴兵の拒否を貫き、王者の資格を剥奪される。それでも復活を果たし「キンシャサの奇跡」で再び王者となる。

 

モハメド・アリ

1942年、ケンタッキー州で生まれる。

人種差別の時代、白人と黒人で

居住区と学校が分けられていたなかで育つ。

 

12歳のとき、自転車を盗まれる。

盗んだやつをぶちのめすと警官に言うと

闘い方を知った方がいいぞと言われ

ボクシングジムに通うようになる。

 

アマチュアチャンピオンになり

1960年、ローマオリンピック

金メダルを獲得する。

 

アメリカに帰国して

金メダルをかけていても

入店拒否などの黒人差別をうけ

金メダルを川に捨てたという。

 

プロになり、ヘビー級の試合といえば

力任せだったものだったが

フットワークやジャブなど

アリは技術面ですごかった。

 

ある日、

ラジオでプロレスラーと対談する。

そのレスラーがラジオで

次の対戦相手を罵倒しまくった。

アリが試合を見にいくと会場は満員だった。

 

このころから

ビッグマウスやノックアウト宣言をするようになる。

一方で不安を感じていた。

トレーナーと

2人だけとなると態度がガラっと変わった。

 

世界チャンピオンをかけたヘビー級の試合。

対戦相手のソニー・リストン

刑務所でボクシングを覚えた男。

 

アリが怯えていると

リストン運営に情報を伝え

相手は練習をそんなにしなかった。

そういう心理戦もあり

アリは世界ヘビー級チャンピオンとなる。 

 

そして、

キリスト教とからイスラム教へ改宗し

名前もモハメド・アリにする。

 

問題は、過激なイスラム教である

ネイション・オブ・イスラムに入信したこと。

白人は悪魔であり、黒人はすばらしいと考え方であった。

 

非難の嵐だったが、アリは変わらない。

 

昔の名であるクレイと呼んだ対戦相手に

怒りノックアウトせず

いたぶるボクシングをし批判を浴びる。

 

さらにベトナム戦争の 

徴兵命令を拒否する。

 

入隊しても戦争に参加するのではなく

慰問試合をすればいいといった内容だったが

それでも拒否する。

 

そんなこともあってか

25歳のとき

チャンピオンの座を取り上げられ

プロボクサーの資格も剥奪されてしまう。

 

次第にアメリカで反戦ムードに

なっていくと

アリの見方が代わり

28歳のときリングに復帰するようになる。

 

年齢が高くなっていき

華麗なボクシングスタイルができなくなるが

チャンピオンになったり

負けたりを繰り返し

39歳までリングに立ち続けた。

 

引退後、

パーキンソン病にかかったり

イスラム教の穏健である

本来の教えを信仰するようになる。

 

湾岸戦争のときには

イラクサダム・フセインと面会し

人質の一部を解放する。

 

 

 

岡田准一さんが

アリは神から才能を与えられていて

選ばれているという自覚があり使命感があったから

社会的な意見を言いつづけたんだと思うと言っていた。

 

本当にそうだと思った。

若くして世界チャンピオンになった人は

何人もいるが

なぜモハメド・アリだけ

こんなにも有名になって

世界から愛されるようになったのか。

 

世間というものに媚びず

神から選ばれているという意識があって

いろんなことに対して

発言していったからかもしれない。

 

金メダルを川に捨てたり

徴兵を拒否して

プロボクサーの資格をなくしたりと

もちろんボクサーとしても素晴らしかったが

生き方について憧れる人が多かったと思う。

 

 

世界に知れたこの顔で

社会に貢献していきたい。

ボクシングは控室で

本当の戦いは外にある。

 

中田英寿さんも

「自分が有名になったというよりも

 サッカーのおかげで有名になっていった。

 この有名になったことを

 利用していきたい」というようなことを

言っていたので、同じであると思う。