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バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

「映像の世紀 第8集 恐怖の中の平和」 を見て

www.nhk.or.jp

東西冷戦は世界を二分し、国家や民族を引き裂いた。米ソのミサイル開発戦争は、一瞬で世界を壊滅させる核戦争の脅威に人類を追い込み、キューバ危機で緊張は頂点まで達した。フルシチョフが失脚後に録音した「回想録」で米ソの攻防をたどり、米ソのミサイル基地の爆発炎上事故、死の灰による犠牲者を出した米の核実験、韓国駐留米軍を慰問するマリリン・モンローの映像などを交え、冷戦の時代を映像で振り返る。

 

第二次世界大戦後のアメリカは

庶民の暮らしは豊かであったが

気がかりは共産主義の台頭であった。

 

ソ連のスタリーンは

アメリカの核開発に恐怖していた。

 

ソ連も原爆を成功し

アメリカは水爆を成功させる。

 

スターリン

ソ連の水爆実験の成功を聞かずなくなった。

 

ソ連は西側諸国との

関係改善を考えていた。

 

西ベルリンの人々の生活は

西側諸国の物資援助が多く

東から西に移動する人が多かった。

 

東ベルリン暴動。

ソ連の政府関係者は

市民からの暴力にあい

ソ連軍の戦車がきて鎮圧させる。

 

ソ連共産主義

好戦的な態度で市民に押し付けていたのであった。

 

ジュネーブ首脳会談。 

フルシチョフ第一書記は

アイゼンハワー大統領がダレス国務長官の意見を聞いてるのをみて

自分もビビっていたが、相手もビビっていたのだと知って

勇気が出たという。

 

ソ連が国際社会で自立できると確信した。

ソ連が水爆などを開発していたからである。

 

この水爆実験をみて 

フルシチョフ

もう戦争はできないと思い

核が抑止力とみる見方が出てくる。

 

原爆軍事演習に参加した兵士の手紙。

指の骨が白くみえた。

巨大な火の玉が上にあった。

この演習からまもなく髪の毛が抜け始めた。

 

この演習には

25万人から50万人が参加していた。

 

ハンガリーのブタペストでは

ソ連の秘密警察や政府関係者が

市民からのリンチにあい

またもソ連軍の戦車がきて鎮圧する。

 

この暴力的なやりかたに

西側の反発し米ソの緊張が高まっていく。

 

ソ連は初の人工衛星スプートニクを成功させる。

これが核戦争を優位に進めることになった。

犬の乗せたのがスプートニク2号。

さらに

ICBM大陸間弾道ミサイルの開発にも成功する。

 

アメリカは

ヴァンガードロケットの打ち上げ失敗していた。

ソ連とのミサイルギャップがあり

アメリカ国民は恐怖していた。

 

フルシチョフはベルリンが気がかりだった。

東から西へ市民が出ていく

西側も断固して譲らない。

 

ソ連の核は

数が少なく、実験も失敗していた。

ソ連のミサイルの技術はアメリカよりも上だった。

 

フルシチョフがアメリカに招待される。

敬意を評していたのが震えたという。

かわりに、月面のかけらをアイゼンハワーに送る。

 

ニューヨークやハリウッドの撮影風景、

工場や農業なども見た。

格差があったり、低俗な娯楽だと思ったという。

 

冷戦の緊張感は薄くなっていたと思っていたが

アイゼンハワーと会談では何も変わらなかった。

 

そんなとき

アメリカの偵察機U2がソ連に撃墜された。

アメリカのスパイが発覚したのであった。 

 

その後、

アメリカではケネディが大統領なり

フルシチョフカストロに会っていた。

 

ソ連のミサイル開発は

有人宇宙飛行に成功させていた。

 

ウィーン会談。

ケネディとフルシチョフが初めての会う。

 

ベルリン問題について話したが進展せず

ベルリンの壁が作られる。

西側は戦争を避けるため黙認するしかなかった。

 

アメリカの偵察機U2

キューバにミサイルが運ばれてる状況をキャッチする。

キューバでは戦闘態勢ができる。

  

アメリカもソ連も戦争を望んでいない。

核を作ってきたが、お互いが恐れるあまり

先制攻撃を仕掛けるという考えになっていった。

 

キューバ危機のあと

ケネディは暗殺され

フルシチョフは失脚する。

アメリカに譲歩しすぎたからだといわれる。

ソ連ではフルシチョフは歴史から

記録が消されるようなことが起こっていた。

 

 その後、ベトナム戦争となっていく。