バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

ザ・プロファイラー「愛と戦いに生きた“女帝”~マリア・テレジア~」 を見て

www4.nhk.or.jp

 

岡田准一がMCを務める歴史エンターテインメント。栄華を築いた名門ハプスブルク家。だが18世紀、男の世継ぎが生まれず、その存続が脅かされることに。周辺国に食い物にされようという時、国を救ったのが、わずか23歳、しかも妊娠中だったマリア・テレジアだった。望まぬ戦争を戦い続ける一方で、国の近代化を推し進め、そして自ら16人の子の母となった。国民から「国母」とも呼ばれた女性の、愛と戦いの人生に迫る。

 

マリーアントワネットの母親である

マリア・テレジア

16人の母親でありハプスブルクの君主であり

オーストリアの国母といわれている。

 

ハプスブルク家は鷲の紋章。

現在のオーストリア、ハンガリー部分が

ハプスブルク帝国である。

 

テレジアは 

ハプスブルク家の長女として生まれた。

父親のカール6世が死去すると

23歳でハプスブルク家の君主になる。

 

テレジアは

王女としての教養しかなかった。

それが急に

軍事や財政などと向き合わなければいけなかった。

 

この若き女性君主を

周辺諸国は認めなかった。

ハプスブルク家の側近たちも

テレジアに協力的でなかった。

 

側近たちは世襲だったので

どう動けばいいかわからなかったし

危険なことはしたくないという

保守的な立場でしかなかった。

 

そんなこともあってか

プロイセンの国王、フリードリヒ2世が

ハプスブルクのシュレージエン地方を攻めてきた。

 

さらに

フランスなどの諸国も攻めてくる。

 

そのころ、テレジアは

乗馬の練習をするようになった。

そして馬に跨りハンガリーに登場する。

 

ハプスブルク帝国に反発していた

ハンガリーの軍事力が必要だった。

 

騎馬民族国家のハンガリー軍は

この演出によりテレジアの味方になっていった。

オーストリア継承戦争である。

 

 

世界三大宮殿の

シェーンブルン宮殿

 

テレジアは近代化を目指す。

・身分でなく優秀な人材を出世させる。

 士官学校を作り、貴族と農民を平等に扱う。

 栄養価の高い食事や病院などを作る。

 

・多額の費用は税制改革。

 税率を一本化して

 国が税を取り締まるようにした。

 

・生産性の向上。

 労働に休憩時間をつくりメリハリをつけた

 

さらに

自分の娘たちを政略結婚させる。

6女、パルマ公国

10女、ナポリ王国

11女、フランス王国。(マリーアントワネット)

 

この政略結婚は

国家君主としての一面が出ている。

 

自分は恋愛結婚だったため

政略結婚がどんなものか知らなかったことと

いい王様に嫁いでいい暮らしを送らせてあげたいという思いも

あったかもしれない。

 

 

シュレージエン地方を取り戻すため

プロイセンのフリードリヒ2世に対する包囲網をつくる。

 

ペチコート同盟。

ロシアのエリザベータ

フランスのポンパドール夫人。

 

フランスと同盟を結ぶのは

とても難解であった。

 

ハプスブルクとフランスは

300年以上も敵対していた。

さらにフランスはプロイセンと同盟だった。

そのため、側近のカウニッツ伯爵を

スパイとしてフランスに送り込む。

 

女性蔑視のフリードリヒ2世に頭にきていた

ポンパドール夫人がルイ15世を説得し

フランスと同盟を結ぶことに成功する。

 

エリザベータも同盟に快諾する。

女性蔑視のフリードリヒ2世を嫌っていたからである。

 

この戦争が 7年戦争 という。

 

フリードリヒ2世を追い詰めたとき

ロシアのエリザベータが死去し

跡を継いだピョートル3世は

フリードリヒ2世の崇拝者でありプロイセン側についたのであった。

 

戦争が長引き

国力が衰退し食料もなくなっていった。

テレジアは

シュレージエン奪還を断念する。

 

さらに

夫フランツがなくなると

生涯、喪服で過ごした。

 

そして、

ある程度の国政を

長男、ヨーゼフ2世に任せるようにする。

 

戦争で衰退した財政をよくするため

歳出削減で宮廷で働いていた人を解雇したり

儀式や祝祭なども廃止していく。

 

さらに、ヨーゼフ2世は

フリードリヒ2世を崇拝していた。

 

プロイセン、ロシア、ハプスブルク

ポーランドを分割しようとする。

 

新しい国力をつけされるため

バイエルンまで攻める。

その間にプロイセンハプスブルクに攻める。

 

テレジアは

フリードリヒ2世に手紙を送る。

戦争は悲惨だという内容と和平したいという内容。

フリードリヒ2世はその内容を受け入れた。

 

テレジアは晩年、

ヨーロッパに天然痘が流行っていたため

予防接種を推進したり

小学校の設立を行ったりした。

 

 

スタジオでは

秘伝のオリオ・スープが出てきた。 

ハプスブルク家

シェフだった人の末裔から教わったという。

50種類の食材からとったスープ。完成まで3日。

このシェフしか作れないものである。

 

今の日本の庶民の暮らしと

ヨーロッパの貴族の生活どっちがいいかという

議題がネットであったりする。

 

ネットやエアコン、コンビニなどがあって

今の日本の暮らしの方がいいじゃないかという

意見があるが

中世ヨーロッパの食事は

現代の日本から見てもやはり、すごいのであった。

食材だけでも一杯4万円もするという。

 

番組では

テレジアがメインであったが

フリードリヒ2世にも興味が出てきた。

 

息子のヨーゼフ2世と

ロシアのピョートル3世。

2人ともフリードリヒ2世を崇拝していたという。

 

テレジアの手紙を受け取り

和平を受け入れたというところも

テレジアのことを評価していたのだと思えてくる。

 

フリードリヒ2世を

ウィキペディアで調べると

父親との確執や

イギリス王女との縁談を機会に逃亡したりしている。

 

さらにテレジアとの婚約の話まであったという。