バシャヌコ日記

日々の記録と思ったことなど、テレビや映画の感想多め。

FAKE を見て

映画『FAKE』公式サイト|監督:森達也/出演:佐村河内守

 

『A』『A2』以来実に15年ぶりの森達也監督作。佐村河内守氏の自宅でカメラを廻し、その素顔に迫る。取材の申し込みに来るメディア関係者たち、ことの真偽を取材に来る外国人ジャーナリスト…。市場原理によってメディアは社会の合わせ鏡となる。ならばこの「ゴーストライター騒動」は、社会全体が安易な二極化を求めていることの徴候と見ることもできる。 はたして何が本当なのか? 誰が、誰を騙しているのか?  映画は、この社会に瀰漫する時代の病をあぶりだしながら、衝撃のラストへとなだれ込む。

 

オウム真理教の「A」をみたことがある。

オウム真理教の広報部長、荒木浩

取材対象者である。

 

心に残ったシーンは

家族に麻原の本が見つかったとき

「自分には姉がいるので親子の馴れ合いというものを

 やりたいのなら姉に甘えてください」

 

「世俗的なものを離れたくて

 この世界に入ったのに

 事件があってから、ますます世俗的なものと関わるようになった」

 

森達也さんの

ドキュメンタリーはオチが期待できる。

 

 Aのオチは

家族と縁を切ったと思っていた荒木氏が

祖母が危篤と知り

葛藤はありながらも帰省する。

 

そのとき祖母は手を振って孫と会う。

孫がオウム真理教の信者であっても

受け入れるという家族愛が描かれていた。

 

 

 

今回のFAKE。

 

佐村河内さんは天然でいい人であるという印象である。

豆乳を大量に飲んでから飯を食べる。

ほっぺを叩いてモーツアルトを演奏する。

ピアノを捨てた理由は部屋が狭いから。

 

 

新垣さんはマスメディアには出演するが

このドキュメンタリーでは出演しない。

 

日本のマスメディアの問題点も明らかになる。

フジテレビのプロデューサーが

森達也を知らなかったり

共同テレビのプロデューサーが

放送された内容はお笑いではないと

紳士的にふるまいながら

実際のオンエアではゴリゴリのお笑いになっていたことなど。

 

本当にテレビとは怖いものである。

 

 

このことについて

森達也さんの意見は

「テレビ製作者は信念がない。

 出てくれた演者でどうおもしろくするかしか考えていない」

 

アメリカのメディアも取材し

厳しい質問をする。

作曲するところを見せれば疑いは晴れる。

指示してできた曲をどうチェックするのか。など

 

 

ラスト12分は

佐村河内守さんが作曲し

完成した曲が流れるということ。

 

 

そして疑問が残る。

何がFAKEなのかということ。

 

いろんな見方ができるが

自分は佐村河内さんが

作曲できないキャラになっていたことが

FAKEであるということなのかと思った。

 

実は作曲できるのに

作曲しないで

誤解を生んでいた。

それが偽りだったということなのかなと。

 

なぜ新垣さんが

このドキュメンタリーにはでないのか。

 

それは新垣さんが

佐村河内さんが作曲できることを

知っていたからかもしれない。

 

そもそもまずこのFAKEの映画タイトル。

いろんなことを疑ってしまう。

 

ラストの曲が

佐村河内さんが作ったのではないのかもしれないと

疑ってしまうのである。

 

しかし、自分はあれは本当に

佐村河内さんが作ったと思う。

曲終わりに

「こんな感じ」と言った。

その言い方が

照れ臭そうな感じがした。

 

それが自分が作った証拠であると思った。